中山康樹トーク・イベント 「マイルスの夏、1969」

ぼくはこどものころから音楽が好きで(演奏するほうじゃなくて、あくまで聴くだけですが)、特にぼくらの年代の音楽好きというのはたいがい洋楽好きで(日本の音楽なんていうのは当時はダサいものの象徴でありまして)、でそういう人間が一度ははしかにかかったようにやっぱりジャズというジャンルの音楽の洗礼を受けるわけでして・・・で、当時でいえばやっぱりマイルス・デイビスということになるのであります。

今回、「マイルスの夏、1969」というタイトルで、中山康樹さんのトーク・イベントがあったのでお邪魔してきました。(中山康樹さんはジャズに関するたくさんの著書がありますが、ぼくが一番評価しているのはじつは「マイルス・デイビス自叙伝」の訳者としてであります。それと余談ですが、この自叙伝は無茶苦茶面白いです。)

「マイルスの夏、1969」というのは「ビッチェズ・ブリュー」という歴史的名作(?)がレコーディングされた時期をさしているわけですが、このレコードが後世に与えた影響というのはいろんなところでいろんな人が言及しているのですが、逆にどういう過程でこのアルバムが生まれることになったのかということを、中山さんなりの仮説をいろんな音源を聴きながら一緒に検証していこうというイベントでした。

登場した人物は、プロデューサーのテオ・マセロとアラン・ダグラス。コンポーザーのギル・エヴァンス。エレクトリック・フラッグのベーシスト、ハーヴェイ・ブルックス(正しい発音はハービー・ブルックスだそうです)にジミ・ヘンドリックス。最後にジョー・ザヴィヌル・・・

中山さんの「物語」は、もちろん邪推や妄想も混じってはいるのでしょうが、なかなかにおもしろいお話で、帰ってから「ビッチェズ・ブリュー」を聴きなおしたり、エレクトリック・フラッグのCDをAmazonに注文したりしています。

中山さんは「1969」が一段楽したら、次は「マイルスの夏、1972」というのが待ったいるんですと最後におっしゃっていましたが、それはつまりぼくのもっとも苦手なアルバム「オン・ザ・コーナー」へ至る「物語」になるのかと思います。

ちなみに「1969」の「物語」については、「en-taxi」に連載中とのことです。